熊谷俊人の評判がヤバイ!阪神・淡路大震災でみた政治家たち
熊谷俊人千葉市長の評判がヤバイ!来春の千葉県知事選挙に、自民党県連では有名人の鈴木大地(元スポーツ庁長官53歳)を擁立?熊谷俊人千葉市長の行政改革の評判は高く、43歳という若き指導者を千葉県民は千葉市長から千葉県知事へと願うでしょう。そんな熊谷俊人氏の評判を調べてみました。
熊谷俊人の評判とプロフィール
- 名前 熊谷俊人(くまがい としひと)
- 生年月日 1978年2月18日
- 出身 奈良県天理市
- 学歴 白陵高等学校
早稲田大学政治経済学部経済学科
NPO法人政策学校「一新塾」第18期生 - 身長 181cm
- 趣味 登山、詩吟、歴史
- 前職 NTTコミュニケーションズ株式会社
- 千葉市長 当選3回(任期:2009年6月4日~現在)
- 所属政党 民主党→現在無所属
【熊谷俊人<評判】熊谷俊人氏が政治家になったきっかけは?
1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大災害。
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)。
熊谷俊人氏が高校生の時に起きた大震災。
熊谷俊人氏は、大震災のとき神戸市に住んでいたんです。
阪神・淡路大震災を経験したとき、生活のほとんどが地方行政と地方政治ということを熊谷俊人氏は身に染みて痛感したのです。
一般的に政治と言えば、国政ばかりをマスコミはニュースに取り上げます。
ところが、「実際には私たちの生活はほとんどが身の回りの地方行政と地方政治なんですよ」と熊谷俊人氏は声を大にします。
熊谷俊人氏も阪神大震災の被災をする前までは、司馬遼太郎さんの本を読み、国政的な国家の在り方などについて偉そうに考える人間だったことも明かしています。
つい最近の話では、熊本地震で熊本県や熊本市などが果たした役割が被災者の住民は身近に感じられたことと思います。
熊谷俊人氏は肌で感じて、政治家になったきっかけは、絶対に地方行政、地方政治をやりたいと思ったと・・・。
この動画を見れば、国政政治家の怠慢な行動、「情報収集の甘さにただただ呆れるばかりで、怒りさえ覚えます」と熊谷俊人氏。
熊谷俊人氏が評判のいい政治家になった訳がわかりますよね。
【熊谷俊人<評判】18歳選挙は別に行かなくてもいい
若者たちに熊谷俊人氏(千葉市長)は、「18歳で選挙権を与えられたと人がいきなり参議院選挙は悩みますよね」と。
若者たちに同情の弁を発してます。
実際には、自分が分かる事に参画すべきですよね
そういう意味では自分の住んでいる街、身近な行政の統一地方選挙とかから18歳選挙権が始まると、もっともっと悩まなくて済んだんじゃないかなと。
別にでも行かなくても良いと思いますよ。
行きたい人が行けば良いし。
行かなかった事で後で悔しい思いをするっていうのも良い経験だと思います
【熊谷俊人<評判】今だから言える千葉市の実情
約60年間も政権が変わらなかった千葉市。
さらに40年間も中央官庁出身という天下り的な公務員選挙。
役人ですので、パフォーマンスもうまくない、そこで頼みは基本的には組織選挙です。
幼稚園協会だ建設業協会だとか、技師会だ何とかだっていうそういう業界団体の支持を受けて受かるわけです。
ですから今度はお礼にそういう団体の圧力に負けてしまうわけです。
選挙で票をお願いしますと言って当選したわけですから、当選して市長になったら応戦してくれた団体に甘い汁を・・・、となるわけです。
このような流れが40年も50年も継続されてきたわけです。
昭和63年ごろは借金がまだ2000億円ぐらいだったのが、1兆円を超えるような借金となりました。
また、いままで積み立てられていた財政調整基金、いわゆる貯金までも全部崩しちゃって、今まで潤沢に200億とか貯金があったのはもう雀の涙ほどになっているのだとか。
歴代の市長さんというのは何を考えたのか。
何も考えないで、天下り先として自身の保全ばかりを考えて君臨していたのでしょうかね。
地方の人たちは、あまり多くを語らず、反対という声をあげることを好みません。
これはどこの地方でも同じように思えます。
【熊谷俊人<評判】身内に甘い役所の体質
熊谷俊人氏が千葉市長選挙で大差をつけて当選したとき、市役所の職員たちの対応は複雑な表情ばかりだったといいます。
何十年も市の職員たちの思惑通りにやってきた地方政治。
そこに、突然31歳のペリーさんが黒船から降りてきて市役所で第一声を上げるのですから違和感だらけだったでしょう。
市役所改革を訴えている熊谷俊人氏には冷たい目線が集中するのは当然のこと・・・。
市役所の中からの熊谷俊人氏の演説を聴衆する人は1人もなくてシーンと静まり返った状態だったようです。
熊谷俊人氏の演説が終わって、次の副市長が市役所で第一声をあげたときには、市役所の中から人が一杯出てきて、市役所の幹部が副市長の仲間として周りを取り囲んで拍手する始末。
21世紀の時代に旧態依然とした考え方が蔓延していて、実に驚きの瞬間だったのです。
役所の論理を千葉市民に押し付けようとしていたのです。
熊谷俊人の評判がヤバイ! まとめ
熊谷俊人氏が政治家になったきっかけは、阪神・淡路大震災のときに感じた地方政治が重要だと感じたのがきっかけだった。
千葉市の財政を立て直そうと懸命に努力しています。
現時点で165億円もの借金額を減らしています。
地方にいる公務員の意識革命は必須ではないでしょうかね。
ぬるま湯に浸かっていると20年も50年も何年過ぎても変わりませんよね。
黒塗りの市長車(センチュリー)がいいのか悪いのかと物議を醸しだすとは。
何をか況やのせかいですよね。
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