服部勇馬の実家で起きた兄弟愛とは!
服部勇馬選手の兄弟は、MGCレース前に大々的に兄弟の『絆』をタイトルにして話題となっていましたね。服部勇馬選手の兄弟のプロフィール、実家の稼業は?後継者としての服部勇馬選手の心の葛藤、弟(風馬)と祖父との会話で後継者が決定。トップアスリートが抱える限界への挑戦と裏側の深い話。
服部勇馬の兄弟は?
服部勇馬選手の兄弟は、男3人に末っ子の女の子(葉月)さん。
兄弟男3人とかわいい女の子です。
末っ子の『お雛様祭り』3月頃の兄弟の写真でしょうね。
子供の頃から兄弟の顔がキリリっと締まっていて、厳格な家庭環境と・・・推測しました。
長男の服部勇馬選手のプロフィールから追っていきましょう。
服部勇馬プロフィール
血液型 O型
出身 新潟県十日町市
出身校 仙台育英学園高校
東洋大学
直近の成績 ’17年 東京マラソン 11位(日本人4位)
’18年 第72回福岡国際マラソン(優勝)
性格は至って温厚(いままで怒ったことがない)という服部勇馬選手。
趣味は?と聞かれれば、サッカー観戦だと言ってました。
好きな食べ物は?、うなぎ、蟹。では、嫌いな食べ物は、なす、しいたけと子供みたいなところがありますね。
女性が気になる異性のタイプを尋ねてみると、足が細い人、爪がきれいな人と答えてくれました。
服部弾馬プロフィール
生年月日 1995年2月7日
出身 新潟県十日町市出身
出身校 豊川高等学校、東洋大学経済学部卒業
所属 トーエネック
身長 175cm、体重58kg
トーエネックという所属会社は素人の私には聞きなれない実業団陸上部ですね。
最近、急成長している実業団陸上部です。
トーエネックという会社は、電気設備(電力会社から送られてくる電気の配電線ルートの建設など)に関する業務をこなしている会社です。
陸上で天才肌と言われている服部弾馬選手の記録です。
1500m 3分42秒06
5000m 13分34秒64
10000m 28分55秒31
ハーフマラソン 1時間02分31秒(市民ランナーの2倍のスピードです)
箱根駅伝
2014年7区(1位)
2015年7区(3位)
2016年3区(3位)
2017年1区(1位)
日本代表に選出していただきました。
東京オリンピックにつながる大切な大会なので頑張ります! https://t.co/TIOgk63aH6— 服部 弾馬 (@HazumaHt) January 10, 2020
服部風馬プロフィール
服部風馬選手は、服部兄弟の中では少しだけタイムが・・・。
比較する対象が凄すぎるので、ちょっとかわいそうですね。
地元では有名なランナーと言っていいでしょう。
豊川高校で陸上部に所属。
新潟の聖火ランナーにも選ばれています。
浜名湖一周駅伝 高校男子5区
豊川高・服部風馬選手
観る機会は多くなかったけれどラストランを観戦出来て幸せでした
豊川高の選手として走ってくれてありがとう、お疲れ様でした!! pic.twitter.com/YXvkjnJhws— ジーニー (@1wv12fedb2) February 18, 2016
それにしてもイケメンですね。
服部兄弟のファンクラブができてもおかしくないですね。
服部風馬くん新潟の聖火ランナーに選ばれてるんだね〜〜🥰🥰
— y🏃🏻♂️ (@___ghtbj) December 17, 2019
服部勇馬兄弟の家族は?
服部勇馬さんの父親がイケメン過ぎますね。
服部勇馬兄弟の家族は、
父親、好位(よしのり)さん、
母親、麻里子さん、
長男、勇馬さん、
次男、弾馬さん、
三男、風馬さん、
長女の葉月さん
の6人家族です。
そして、祖父の龍一さん。
服部勇馬の実家で起きた兄弟愛とは?
服部兄弟3人の男兄弟の中で、長男(勇馬)と次男(弾馬)は陸上で全国的な知名度になっていた。
ところが、三男の風馬は高校生ながら苦闘の日々を送っていたのです。
兄たちに負けまいと、必死に走り込みを続け無理がたたって高校3年生の秋、右足のアキレスけんを損傷。
焦れば焦るほど、兄たちとの差は拡がる一方でした。
「兄たちと同様に大学へ進学し、再挑戦してみたい」
風馬さんの脳裏には、「大学で再挑戦し、兄たちに追いつきたい」という気持ちでいっぱいいっぱいでした。
ところが、予期せぬ思いが2016年1月に人生を180度変える決断をすることに。
東洋大学のメンバーとして箱根駅伝に出場する2人の兄・服部勇馬、もう一人の兄・服部弾馬の応援に家族で沿道に応援にいきました。
当時、兄の勇馬は東洋大の4年生。
各校のエースが揃う「花の2区」で区間賞(区間1位)。
3区の兄・弾馬も区間3位の力走。
そして、翌日の新聞に箱根駅伝の結果がスポーツ紙の1面に、兄2人のたすきリレーの様子が掲載されました。
「東洋大の服部兄弟」
新聞の見出しが風馬さんの人生の決断の背中を押したのです。
服部風馬さんは、豊川高の寮に戻ってから1月の中旬に、祖父、龍一さんに電話をかけたのです。
祖父の龍一さんが創業した会社、『服部総業』の後継者になることへの宣言でした。
「俺、戻って家の仕事を手伝うよ。勇馬、弾馬には陸上に専念してもらいたいから」
祖父、龍一さんは孫、風馬さんの気持ちが痛いほどわかる人でした。
「いいのか?」
と、孫、風馬の決断を受け止めるかのように聞いた祖父の龍一さん。
そこには、実家の稼業への感謝、兄・勇馬、弾馬への感謝が込められていたのです。
風馬さんは、風馬さんなりに考えた、
「それが自分流の陸上への関わり方なんだ」と。
祖父の龍一さんは風馬さんの気持ちを察して、
「そうか、帰っておいで」
と優しく受け止めてくれたといいます。
服部勇馬兄弟3人のプロフィール!まとめ
服部勇馬さん兄弟の長兄の勇馬さんは実業団、トヨタ自動車へ。
次男の弾馬さんは、実業団、トーエネックに。
そして三男の風馬さんは、実家の服部総業を継ぐことを自ら覚悟を決めて働いています。
東京オリンピックの新潟県の聖火ランナーになった服部風馬さん。
服部勇馬兄弟の東京オリンピック談義は尽きません。
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